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全国の墓地 緑区

日本は残念ながらこのプロジェクトに入っていないので、この表の中でどこにもグループ分けできないが、第三の不平等性の高い国のグループに属していると、私は判断している。 これまで統計データを用いて、わが国の所得と資産分配の不平等の変遷と、国際比較を検討してきたが、統計データによってどこまでわかるかという問題を考えてみよう。
統計データは政府なり研究者なりによって収集されるのが通常である。 集められた標本が全国民をまんべんなくカバーしているか、そして職業や性、年齢等でかたよりなく収集されているかという問題は、すべての統計収集にあてはまる課題である。
所得と資産については特にこの問題が重要である。 第一に、所得を捕捉する際に、特殊な標本が調査の対みから漏れている可能性がある。
例をあげれば、下宿している学生や頻繁に住居を変えている人、母子家庭、独居老人、病院に入院していたり老人ホームに入居していたりする人、等である。 これらの人は一般に低所得、低資産保有階級の可能性が高く、こうした人々を除外したデータを用いた分析では、所得や資産分配を実際よりも平等であると誤診させる恐れがある。

第二に、逆に高所得、高資産階級の人は、データが納税行政に使われることを恐れて、統計収集における標本の対象者あるいは調査の回答者になることを拒否することがある。 拒否しなくとも所得や資産を意図的に過少申告する可能性がある。
これらも所得や資産分配を実際よりも平等であると誤診させる恐れがある。 さらに、巨額の所得・資産を有している人は、たとえ過少申告の意図はなくとも、自己の所得や資産を正確に把握していないことが多い。
つまり申告された所得や資産に誤差が大きい。 誤差の問題は低・中所得者にもあてはまることであるが、高所得者や高資産家の場合、その誤差の額が大きいだけに統計の信頼性への影響力は大きい。
以上をまとめれば、所得と資産の統計データは、高所得と低所得(あるいは高資産と低資産)階級に脱漏の可能性が高いので、これらを用いた分析結果は所得や資産分配の不平等を実際よりも低く推計する恐れがある。 あるいは現実よりも平等であると結論づける恐れがある。
注意を要する点である。 これらの課題に対処するためには、統計を収集する際にすべての標本を調査の対みにし、かつ特性に関してかたよりなく収集し、正確に測定するように努めるしかない。
ただし、プライバシーの問題もあるので、特に所得に関して情報公開にも限度のあることは否定できない。 所得や富の数字のみによって人々の豊かさ(あるいは幸福度)が測定できるのか、という疑問はいつの時代にもあった。
人間の幸福はそもそも経済的な豊かさのみによって測られるものではないという本源的な疑問に加えて、経済学上でも次のような論点が提出されている。 第一に、消費水準の多寡が経済上の豊かさや厚生水準の指標になるべきで、所得や富は二次的な意味でしかないという意見がある。
持っていることよりも使うことに本質的な経済の豊かによっては所得データの収集を禁じている場合もある。 しかも正確さを期待するためには費用もかかる。

わが国の統計の信頼性はこれまで相当高かったが、費用削減の要請や行政改革のあおりを受けて、質の高い統計を収集することがやや困難になっている。 一方、役所の縦割りもあって、似たような統計をいくつも公表するという無駄が目立つ。
例えば総務庁の『家計調査』と農水省の『農家家計調査』の統合は急務である。 同じく総務庁の『家計調査』『全国消費実態調査』と厚生省の『所得再分配調査』にも重なる部分がある。
これらを一本化することによって費用削減ができる。 量は少なくてもよいから質が高く、しかも信頼性の高い統計の収集・公表を期待するものである。
さがあると考えるのである。 第二に、しかも、家計全体の消費額ではなく、家計一人当たりの消費額で測定される必要がある。
第三に、たとえ所得を指標にするとしても、家計の中で働いている人の数に違いがあれば、単純に家計所得の合計で豊かさや厚生水準を比較するには問題がある。 さらに、勤労には苦痛がつきまとうので、名目所得が多くともその苦痛を割り引く必要がある。
これらをまとめれば、家計の中での稼得者の数や家族人数を考慮する必要がある。 第四に、地域によって物価水準に相当の差があるので、暮らしやすさは相当異なる。
東京や大阪のような大都市では、物価水準の高さに加えて、土地や家の買いにくさ、あるいは通勤時間や交通の混雑のことを考慮すれば、所得や富の大きさだけでは生活水準の豊かさや快適さを測定できない。 逆に地方では、物価水準の低さのほかに、広い家をもてること、等を考えると都会よりも豊かであるともいえる。
第五に、国際比較においても、日本と諸外国では物価水準が大きく異なるので、たとえ所得が同レベルであっても生活水準が異なる可能性は高い。 さらに、国際比較には為替レートの変動が関与するので、比較を一層困難にしている事情がある。
このように述べてくると、統計データや生活実感、あるいは国内比較と国際比較の面からふると、所得分配を比較するには様々な問題があることがわかる。 一般に所得はある年度(例えば一九九八年度)に稼得された額によって、計測される。

ところが人の所得は毎年続くし、年によって所得の変動も結構ある。 本来ならば人の生誕から死亡まで、あるいは就労から引退までの所得を合計した生涯所得で所得分配の平等・不平等が論じられることが望ましい。
しかし、人の生涯所得の計測はデータが存在しないので非常にむずかしく、単年度の所得で比較されることが多い。 対処するために種々の工夫を重ねている。
例えば、純国民厚生指標(NNW)の開発や購買力評価による調整方法、等がある。 統計上の工夫のことはあるが、これらの論点をまとめれば、人の豊かさは所得だけでは測定できない、という素朴な疑問にまだ結着がついていないといえる。
消費水準を加味する必要性はよくわかるが、ではどのような方法で消費の実態を豊かさの指標に反映させるか、これからの課題であるといってよい。 消費を無視して、所得だけに指標を限定すれば、等価所得による調整が最もわかりやすい指標であり、しかも多くの専門家の支持があることを強調しておこう。
人の一生八○年間にわたって、毎年毎年の所得データを計測することが不可能なことは、簡単にわかってもらえよう。 ところが方法がないわけではない。

第一に、人によっては家計簿をきっちり長年にわたって記載している人もおり、その人達の生涯所得データを利用する。 ただしその人がわが国を代表する家計と信じることが可能な保証はない。
第二に、八○年とはいわないまでも、一○年間くらいをかけて同一人物を毎年追跡して、収集することも可能である。 単年よりも一○年間のデータの方が、はるかに利用価値が高い。
欧米ではこういうデータを。 パネル・データと称して開発がされている。
わが国もパネル・データの必要な時代になっている。 所得を比較するときに、人がどのライフ・ステージにいるか、という視点も大切である。
例えば賃金分配を比較する場合、二○代の人と五○代の人の平均賃金を比較するとき、年功序列制を念頭におけば、不平等性は高いといえる。

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